きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

頭の悪さ。創造の源泉。

おはようございます!

いきなりですが、僕は頭の回転が遅いです💦

人と会うと緊張に加えて話の筋道が追えなくて会話にならないです。そのくせに対人において相手の苛立ちだけは感知(それも誤解かも)してしまうから辛いです。

昔から自分の取り柄というのも特になくて、友人からは「天然ボケ」と言われて、親からも「あんたから真面目さをとったら何も残らん」とよく言われました。両方悪口ではなく事実だったから腹立ったり嫌な気はしなかった。自分でもある程度そう思っていて、でも実は真面目ですらないから余計最悪で根本からなんもなかった。

今にして思うとそういうコンプレックスというような部分は、宝物だったなと思う。もし自分がもっと人間的にしっかりしていて何でもそつなくこなせるような人だったら、「学び」という面から見ると浅かったかもしれないし、慢心していたかもしれない。

「作品を制作する」という特技を発見してからは世界が一変した。まぁ徐々にだけど。一般的に人より抜きんでる何か、自分の持ち味というのはコンプレックスから発生することが多いのではないかというという実感。

ただ、頭の回転が遅いからかどうかわからんけど、他人がどう感じるかとか、こういうのが多数派には好まれるだろうとか予測が不得意で、「売れる商品つくり」はかなり苦戦している。

一人の時間が長くて、ずっと磨き続けてきて自分の特技は判明したから、あとは最大出力で作品を作るだけ。自分がいいと思うものを全力で作って、次にそれを踏み台にしてさらに全力で作る。その繰り返しにおいて、答えをはじき出せない頭の悪さが功を奏して一つの作品にぶっ込めることができる。

回転が速いと答えをすぐにはじき出してしまう。でも、回転が遅いとあいまいな脳内の世界で長時間漂うことになる。そこは創造性の源。ひたすら答えを出さない状態でふわふわと浮かぶ。これを心地いいと感じるか感じないかで表現の世界においての得手不得手が判明する。

僕が思う「表現の世界」というのは売れる売れないの世界とは別です。全然世間から評価されていなくても自分の世界観を形作っている人はカッコいいし、なんなら売れない芸術家の方が僕はカッコいいと感じる。昔からそう思っていた。上手にマネタイズする芸術家は凄いとは思う。けれど売れない芸術家も劣らずカッコいいです。

自分に求められているものが分かってそれを作る人。

求められていなくても自分が作りたいから作る人。

どちらが正解とかはない。

僕の場合は選んだわけじゃなく、求められているものが分からないから、自分が作りたいと思うものを作るしかなかった。それはとてもありがたいことだと思う。分からないという事はとてもありがたいことなんだと思う。

というわけで、社会に還元できない申し訳なさを抱えつつ、今日も自分の頭の中のあいまいな世界で漂うことにします。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!