きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

寿司屋には行けない

こんにちは!

今日は僕の両親は孫たちと近所にできた回転ずしを食べに行くみたいです。僕も誘われましたが、こんな年末の人が多い中、混んでいる飲食店へ行く事は僕にはキャパオーバーです。そんな事位でしんどくなって調子を崩すとか、あり得ないと思われるけど苦しむ可能性があることはできる限り参加しない事にしている。残念だけど今日は寿司は食べられない。ごめんよ自分。

長年この体を扱っていると、見えてくるものがあります。そういった対人関係の不具合は単に社会不安のカテゴリに入れられるのかもしれないけど、原因は複雑で、育て方や遺伝や元からの脆弱性、トラウマなどいろいろな要素が複雑に絡み合って「人が怖い」という感覚を生んでいると思う。

たまに理不尽だなと思う事がある。例えば父親なんかは僕の10倍以上のエネルギーがあって、僕の全力の大声と父親の通常の話し声が同じくらい。だから正しいとか間違っているとか関係なく、エネルギー的に言って何やっても負けます。それにすぐ怒るから怖い。想像でいいから負け続ける経験を40年以上続けてみてほしい。自分の力のなさを思い知ることになるから。

その代わり逆に僕に与えられている物があります。それは繊細から生まれるものを表現したり、物事の解釈をポジティブに変える事。これは多分もともと持っていたわけじゃなく後天的に得られたものだと思っていて、限界まで苦しんで死にかけたりしながら獲得したものだと思う。

物事の解釈を変えるというのは、自分の身に起こるネガティブな事柄は自分を鍛え磨いてくれる学びの材料で、日々苦しいことが多くてもそれを糧にして毎日一歩一歩進める踏み台にしたりすること。理不尽な事ばかりが起こると、その不公平感や不満が怒りに変わりそうなときって無いですか?そういう時にこそこの考え方が活用できます。その怒りのエネルギーを全部自分を磨く磨き砂にするという事。(といっても僕自身全て変換できているわけではないけど)。その考え方が出来るようになるとイライラが少なくなって学びにもなり一石二鳥。現実的にはいつも負けているけど、一層深い魂的な?面からみるといつも勝っている。そんな感じ。

ただ正直にいうと、無茶苦茶やってくる相手を見返したり思い知らせる方法は僕にはわからない。持っているエネルギーの質から考えて、そういう方向の力はない気がする。対峙できるだけのエネルギーが足りない気がする。だから相手をぎゃふんと言わせたい人には参考にならないかも知れない。

実は、5日に一度くらいのペースで生きていく自信が無くなって、最悪な想像をしてしまう日々です。でも持ち前の解釈によって生きていく理由に変え源泉にしています。いつまでこんな事が続けられるか。ある日限界を超えて死んでしまうんじゃないか。そんな不安もあります。でも、たとえもう限界だと思っても、何かにしがみついてギリギリで生き延びていきたい。その苦しくてギリギリの所にいる方が深い表現が出来る気がするから。とにかく今日を生きよう。明日の事は明日考えたらいい。

最近料理もまあまあ得意なことが分かってきました。今日は寿司は食べれないけど、自分の為にうまいもんを作ってあげたいなと思います。苦しい中でも楽しみを見つけていこう!

今回も見ていただいてありがとうございました。

それではまた!