きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

統合失調症とスピリチュアル

こんばんは!

僕は統合失調症になって入院したのが2003年なのですが、ちょうどその頃にスピリチュアルにはまり始めていました。陽性症状×スピリチュアルという最悪の組み合わせによって最終段階まで突っ走ってしまい、ぶっ壊れて気が付いたら病院のベッドで体に管を刺され点滴と尿をぶら下げて目を覚ましました。何があったのかあまりにもひどいので細かく書けないのですが、絶望というのはこういう事かと思い知らされる出来事でした。まだ頭が変だったから閉鎖病棟は不思議な世界でした。異星人やら救世主やら宗教家やら天使や叫び続けている人やらいろんな人と出会いました。同じような音楽が好きな人とアーティストのCDを交換したり、お菓子やタバコを交換して交流してました。優しい人が多かったと思う。僕の人生で区切りになる3か月でした。生死の間で迷いながらも本能的になんとか生きのびようともがいていた気がする。これもまた大きな経験の一つ。

実家に帰ってからも数年間スピリチュアルに関する興味に沿って量子力学や瞑想や次元上昇に関すること、また統合失調症で経験した意識状態を自分なりに解読して理解したいと思い、トランスパーソナル心理学、変性意識についてなど色々と学んでいました。

そして本日の本題なのですが、当時色々と精神世界系のワークショップに行きたいなと思って(当時はまだ対人恐怖はそれほど気にならなかった)調べたのですが、「統合失調症の方はお断り」というイベントがかなり多くてなかなか行けなかった覚えがあります。いまだにあると思うけど。ためらいが大きく結局行きたくても諦めたイベントばかりでした。

そこで、あぁ異質な人は迷惑なんだ。と悟った。

最終的にスピ系への興味が失せたのが2013年くらい。2013年というと当時スピリチュアル界ではアセンションが起こる大きな区切りとして有名でしたが、違う方向から異世界に突入することができました。違う方向というのは作品制作。自分だけの宇宙を見つけた。今思うと、あの「統合失調症お断り」による悲しさのエネルギーなども作品制作の糧になっていたと思う。

いまだに何かのイベントやワークショップに興味が出ても、到底行く気持ちにはならないのは、あの「統合失調症お断り」の印象がいつも付きまとうから。最悪なことに日常の生活においても影響を及ぼし「変な人間は迷惑です」と言われているような気がして、人が怖くなった原因の一つでもある気がする。

今日そんなことを書こうと思ったのは、市役所からアンケートが届いて書いたのがきっかけ。周囲からの差別を感じますか?みたいな質問があって、やっぱり無いとは書けなかった。特に近所と病院。それにこの二つは逃れられない。どうしたってお世話にならなくてはならないから。そこで笑われたり、ちゃんと診察してくれなかったりすると本当に悲しくて、困ってしまうわけです。それは僕の認識の間違いの可能性もある。でも何度考えても確実に差別はある気がするし、背景にそうなってしまわざるを得ない人生があったわけです。

これは僕の想像に過ぎないかもしれんけど、もし差別じゃないとしたら「嫉妬」なのかもしれないなと。

健常者が精神病者に嫉妬する。

ありえないようで、ありえなくもない不思議な直感があります。

それは何故かというと「突き抜けた」から。

普通に生きていたのでは絶対に辿り着けない深淵を超えた先の世界観というのがあって、ある意味でぶっ壊れないといけない領域に精神病者はいるのかもしれない。

最近、散歩をしながらゴミ拾いをしています。

気分が晴れるから皆さんにもぜひ勧めたい。

最悪笑われてもいい、ちゃんと診察してくれなくてもいい。

どんな理不尽があっても誰一人も恨むことなく、笑って「僕はここにいて、生きていていいんだ」と思えるような生き方をしたい。

他人に言われるその言葉より、自分で自分に言うその言葉には桁違いの威力があります。

もしあなたが似たような状況にいて悩んでいるとしたら、威力は低いけれど、まず僕が言う。

 

あなたはそこにいていい。生きていていいんだ!

 

今回も見ていただいてありがとうございました。

それではまた!