きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

久しぶりの不安感。神様の登場。

こんにちは!

今日は重い腰を上げて早朝から千成ひょうたんを収穫しました。

結構な数があってコンセントランプ用の数年分は確保できたと思います。

でも、そんな事はもうどうでもいいかなぁと思うほどメンタル不安に陥っています。

今日の投稿は少しネガティブな内容になると思うので、気分が下がりそうであれば読まないでください。

ただ最後はいつも希望を植えるので、それほどダメージはないと思います。

自分は結局何がしたいのか分からなくなってきました。

定期的にこんな日がやって来ます。

そういえば、いつも姪っ子たちが泊りに来ている日になります。

今日のメンタル不調は、まず気分が急激に落下した事がトリガー。

これが純粋なトリガー。

他に理由は色々思いつくけど、やはり急に落ちることが原因。

落ちることが原因っていうと、ピンとこない様に感じるかもしれませんが、メンタル疾患ってそんなものだと思う。

だから解決はできなくて、これは一生付きまとう。

その落ちた状態で考えた事は自分の夢や希望に関しての事。

実は僕には将来こうなればいいなとかの思いが無い気がします。

内面的にはその日暮らしな感じで、今以上に何もいらない。

もしかしたらこれは大きな満足感でもあると同時に、絶壁に辿り着いた感もあったりして。

出来るならもう全部終わりにしたい気持ちすらちらつきます。

朝起きて、死ぬか生きるか考えて、いつも絶対に生きることを思うのだけど、日によってはその割合が上がったり下がったり。

死ぬという選択肢が出てきてしまうのが嫌だ。

もし実行したとして、失敗した時の事を考えたら、恐ろしくて絶対に踏み込めない領域。

だからそんなことはしないけど、その決意を綱渡りしているような不安感がグラグラと揺らしてくるので厄介だ。

そういったことを事を思い悩む事自体が「乗り越えていくんだよ」っていう道筋を天が指し示しているように感じる。

僕の場合、死をちらつかせないと「天の意思」みたいなものを感じることもないだろうと思う。

天や神様がどのようなメッセージを送っているとかじゃなくて、”僕にとっては”はそうとしか考えられないってこと。

だからスピリチュアルとかじゃない。

言ってみれば僕の誤解。

死を避けるための大いなる誤解。

そして、そういったことは経験じゃないから夢のように苦しさと共に明日には消えてしまう。

だから、メンタルが不調の時に書くことは「神様」が絡んでいて、これからの自分のたどる道をうっすらと示している気がする。

そうだ、やっぱり傷だらけで擦り切れながらも進んでいきたい。

それが無意味だとしても。

死にたいと思いながらも、自分は深いところではそう思っているんだ!

じゃあ叶えてあげよう!

 

思う事をこんな風に書くことで、とても気持ちが落ち着いてきました。

さあ、今日も冷や汗をかきながらカタツムリのごとく進んでいきますか…。

 

今回も見ていただいてありがとうございました。

それではまた!