きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

寝転んで空を眺める

こんにちは!今日は非常に良い天気で琵琶湖の浜でひとり寝転んで青空と流れる雲を見ていました。

小学生ぐらいの事か、偶然グラウンドで寝転んで空を見た事があります。青空に流れる白い雲が綺麗でずっと見ていたいと思ったのを覚えています。その頃はサッカーやドッジボール、缶蹴りや鬼ごっこと面白いことが毎日盛りだくさんだったので空を眺める楽しみというのは後回しにされて他の事に没頭していました。

ただあの空を眺める心が高鳴る感覚は他の遊びの面白さとは異質なものを感じたのはしっかり覚えていて、時間があったら寝転んで空を眺めたいと思ってるうちに中学、高校、大学と時間は過ぎていき、その後に寝転んで空を見る機会は訪れませんでした。

結局、統合失調症やそれによる自殺未遂により社会からも完全に脱落することになり、中年になってようやくあの空を眺めるという独特で心がワクワクするような気持ち良さを再度体感する機会がやってきました。ある意味人生が全てぶっ壊れた事で、諦めと同時に受け入れが起こり、何でもやってみようという気持ちと、時間の余裕を頂いたように思います。

他の物体は視界に入れず大空だけをしばらく眺めていると、少し大げさに言うと、ここは一体どこだったのか、生きているのか死んでいるのか、夢や幻想の中にいるのか分からなくなり、現実世界と空想世界のちょうど境目当たりに自分が存在している気がしてきます。子供のころ感じた不思議な異質感、ワクワクする高揚感と同じものを30年経って思い出すことが出来ました。

「空を眺める」というのは地味で単純な行為のように思えますが、僕の実感としては非常に奥深いものを内包している様に感じます。深い青空とゆっくりと流れる白い雲を見ていると、長年忘れていたような大事な事がなんとなくふんわりと思い出される感じがします。何を思い出してどんな気付きを得たとか具体的にははっきりとはないけど、とにかくなんか心が整理されるのです。ポイントは上を見上げるのではなく寝転んでしまう所。完全に首付近の力を抜くことで体全体にストレスフリーで想像力が勝手に作動するようにします。

十分に空を眺めたら、靴下を脱ぎズボンを捲り上げて、波打ち際をしばらく歩きました。さすがに12月の琵琶湖の水は冷たくて、長い時間水に入っていることはできませんでした。冷たさで足先が痛くなってきたらまた浜辺に寝転がり、足が自然に乾くまでまた空を眺めていました。

毎日、この先の不安や、過去の後悔、失敗や恥ずかしい事を思い出して、頭の中がそんなしょうもない事で一杯になってしまうけど、それもひとつひとつが自分を成長させてくれた大切な体験だったんだと思えるようになれたら良いなと。

申し訳なかったとか謝る気持ちも大事だけれど、一番大切なのは「今」です。

過去のネガティブな事から学び取って、もう二度と同じ轍は踏まない決意さえできたらそれでオッケーだと思う。

あとは周りに感謝をして、自分なりにその日その日を全力で楽しんで生き切りたいと思います。

今日も相変わらずオチがない日記ですが、松林に一輪だけ咲くタンポポのように場違いであろうがひとりでこの場所でひっそりと咲くことにします。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!