きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

清流でしか生きられない魚のように

こんばんは!

先日久しぶりに即席のカップ焼きそばを食べました。

そして思いっきり腹を下しました。明確に原因の分かる腹下しは久しぶりです。

別にそのカップ焼きそばの期限とか衛生面が悪いとかではなくて、確実に僕の体の問題です。

ここしばらくは自分か母親が作った手作りの食事しかしていなかったから、体が健康的なメニューに慣れてしまっていて、添加物がたくさん入った異質なものが急に体に入ってきて胃や腸が拒否した感じだと思う。

この一件により、毎日健康な食事をとるという事に対して、今まで思わなかった僅かな疑問が生まれてきました。

もし震災とかになって、即席のめっちゃ体に悪い食べ物を毎日食べて生き延びなければならなくなったら、僕はおそらく体調を崩します。

果たしてこの胃腸の弱さは健康であると言えるのだろうか?

無菌で生活する事により、逆に体が菌に対して免疫を持てなくなるのに似ている。

健康というのは多少の無理がきいて、多少の不衛生をものともせず、不味かろうが旨かろうが添加物もりもりであろうが食べて力強く生きていく姿を思います。

いや、それは単に「体の強さ」なのか。

だとしたら健康で強い体というのは内部矛盾を抱えているようにも思える。

でも健康な事は弱い事であるとも思えない。

健康でいることは、実は微妙で繊細な状態なのかもしれない。

そんなことを考えながらも、僕はこれからも健康的な食事を続けていきたいと思っています。

やってみて分かったけど、それらは何物にも代えがたい幸福を与えてくれます。

僕たちの体は食べたもので出来ているので、食べるものが悪いと体の組成は当然として、性格や考え方まで悪影響を与える気がする。

だから僕は、体の強さをトレードにしても健康的な食事を手放すつもりはないです。多分そっちの方が病気にはなりにくいと思うから。

メンタルを病むような人は、繊細な分、環境が悪いと相当生きづらい人生を送ることになると思います。

それと同じように食べるものもメンタルに与える影響は思っているよりも大きいと感じます。メンタルが繊細な人は、肉体組成も繊細な気がする。自分がそうです。

自分の事を弱くて繊細だと認識している人は「清流でしか生きられない魚」を見習うといいと思う。

少なくていいから自分に適した食品を繊細に選び、なるべく穏やかな環境に身を置き、毎日健康的な楽しみを見つけて、イワナやヤマメのように美しく清々しく生きる。

少しでもそんなことができたら、めっちゃ最高じゃないですか?

体も喜ぶし、心も喜ぶし、あなた自身も喜ばしいはず。

繊細さは間違いなく宝物ですよ~!

 

今日は春の雪でした。3月半ばにもなって雪が見れるとは幸運です。

信号待ちで一枚撮りました。

ただ信号長いなとイライラするか、一枚写真を撮る時間にするか?

これもまた繊細さが与えてくれた今日のギフトですね!

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

それではまた!