きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

調和へと導く話

おはようございます。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

僕は相変わらずの制作三昧の生活を送っています。作品をご縁いただく機会はかなり減っていますが、制作に没頭できる最高の日々を送らせてもらっていてありがたいです。災害などがあると日々の些細な幸せは当たり前ではなくて、なんとありがたいものかと痛感します。自分の健康に気を使い、周りの幸せを願い、もう少し大きな枠で生きとし生けるものの幸せを願いながら生活してます。

最近思うのは自分の健康の管理は食べるものとか運動とかして気を遣えば何とかなるけど、周りの人、特に一緒には生活していない人たちの健康維持に関しては手を出せなくてもどかしい感じがあります。当たり前だけど。

家族はもちろんの事、関わりのある人たちに健康面で貢献する方法はないかと考えています。でも自分以外の体まで影響を与えることは難しい。僕の意思では動かせないから出来ることはごく僅かです。ビタミン豊富で健康的でおいしいものを作って食べてもらうとか、美しくて感動できるようなものを作るなどぐらいしか思いつきません。

こちらのブログで作品を紹介する事をしなくなって久しいですが、今日は一つ載せておきます。

この蝶は調和した世界に連れて行ってくれます。その世界はとても心地が良くて、体は健康になっていくし、色んなアイデアは降りてくるし、何より毎日が楽しい。そんな世界。ある人にとっては空想のような世界にも見えるかもしれないけれど、実際にそういう世界に生きている人にとっては当たり前の世界で、空想だとしか考えられない人にとっては行き方が分からない世界。

そんな空想のようで、実は空想じゃない世界に連れていく蝶々。それがコンセプト。

当たり前に調和の中で生きている人は、そうなろうと意図しているっていうだけの話なのかも。意図するというのは、健康的に生きたいなら健康にいいものを食べる。楽しく生きたいなら、自分が楽しく生きれるように工夫して毎日を送る。

自分の体は自分の意思で動いている。

そしてその意思に応じた世界に生きることになる。

意外と忘れていないかな?

健康になりたいと言いながらジャンクフードばかり食べるとかやってない?(笑)

僕もたまにやるけどそういうのを減らしていこうと心がけてる💦

 

僕が他人の健康に介入できる事があるとするなら、その思いを作品にしてアウトプットする事なのかもしれない。それはある人にとっては調和した世界で生きるための一つのきっかけになるかもしれない。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

鈴を買った

こんにちは!

昨日から降り続いた雪はだいぶ落ち着いて、大雪に対する不安感も薄れてきました。

この冬唯一と言えるくらいの車が出せない積雪の日に限って、珍しく作品の発送手配が重なり、神様はちょっと意地悪なんじゃないかと思いながら、雪の降る中、歩いて郵便局に行きました。

歩道は長靴でギリギリ歩けるくらいの雪深さで、転ばないように慎重に作品を持って歩きました。

でも雪の中歩くのは楽しい。

インスタとかで雪が降っている街の景色とかを見るのがとても好きで、そんな映像をつい何度も見入ってしまうこの頃でした。

今日は映像ではなく、ふわふわと舞っている実際の世界を歩いていると、仮想空間か降雪アートの中に入って体験しているような不思議な感覚になりました。

雪だから寒いからって家に中にいるばかりじゃこの美しさは体験できない。

やっぱり神様は僕の好みをご存じで、敢えて郵便局まで歩くというミッションを与えてくれたようにも思えた今日でした。

さて、先日「音の鳴る靴」が欲しいという記事を上げました。

存在感や人の気配が少ない僕のような人間が周りに存在をアピールするための音の鳴る靴。でもそんな靴は見つからない。草履だったら音が鳴るけれど、長距離の散歩は草履では不可能なので、諦めていました。

でも、昨日急に思いつきました。「鈴」を持てばいいんやと。

なんで思いつかなかったのか不思議です。普通に考えたら「秒」で思いつきそうな事だけれど、「10年」かかった。

今日言いたかったのはこれです。

通常であれば瞬時に導けるような答えに10年かかるところが「自分」だなと。いや、馬鹿とかではなくてとても個性的だなと。

この不思議な感じは言葉では表せない。

僕が思うのは、重要なのは答えをすぐに導き出す速さじゃない。単純で当たり前なことに膨大な時間をかけて、とんでもない紆余曲折を経て、その過程で沢山の「オリジナル」なものを獲得していくところ。

出てきた答えは月並みでも、もう徹底的にいろんな方向に「独自の思索」を含んでいる気がする。

僕から見るとみんな次から次へと即座に答えを導いて、沢山のミッションをこなしすぎているように見える。義務や責任も大切だろうけれど、たまには無駄と思える寄り道や無意味なみちくさ、どうでもいい遊びに没頭する時間があったらいいのになと。

皆がそうしたら、もっとゆとりのある幸せな世界になりそうな気がする。

人と比べないで、もっとゆっくりと答えを見つけてもいいんじゃないだろうか。

無駄な寄り道は時に僕たちに思いもよらないアイデアを与えてくれます。

思わぬ遠回りをすることにより、自分が考え得る「最上の計画」以上の人生設計をプレゼントされる事もあるかなと。

急がば回れ

というわけで、僕は10年かかってようやく解決しました。

存在感が薄いと10年思い悩み、いろいろ思索したことは、僕だけの宝物なのかもしれない。

これからはこれをカバンに付けて、縁起よく鈴を鳴らしながら歩くことにします。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

「商品」か「作品」か。

おはようございます。

何故か分かりませんが最近作品が売れなくなりました。売り上げがなくて余裕がないので、財布のひもを固く…と考えてはいますが、そんな時に限ってメガネが壊れたり、どうしても欲しいものができたり、あと姪っ子や甥っ子たちにお年玉とか出ていく分は以前より多くなってしまっています。はぁ。

そんな状況を打開する方法も思いつかずに、ただ作品作りに没頭しています。

ある意味現実逃避ともいえるかもしれません。

僕が売っているのは「作品」か「商品」かどっちなんだろう。

インスタで流れてきた投稿で、「作品」を売るならスポンサーを探せという。

「商品」を売るなら品質を上げていくよりも相手が欲しいものを作れと。

商売に関して僕の認識はいつだって甘い気がする。

「自分が作りたいものを作って、それを欲しがる人に売る。」

僕にとっては単純で普通の事に思えるけれど、おそらく激甘なんだろう。

自分では、人に求められるに十分な完成度を伴う「商品」を作っている自負はある。

そうそうない独特な「商品」である自信がある。

でも、「売れない」という事が全てを語っている。

 

あなたの作っているのは「商品」ではなくて「作品」なのだよと。

 

そして、その言葉に逆に背中を押される自分がいます。

売れなくてもいいから、あなたはただ全力で「作品」を作りなさい。

そう言われているような気がします。

今度出店しようと思っている手作り市では、売れる事より「見て楽しんでいただく」という事をメインにした店作りにしようと思いました。

お金が足りないというのは大きな問題ではあるが、運はめちゃくちゃいい方で、多分神さまには好かれているから、まぁ何とかなるやろうと。ファンになってくれるのが貧乏神でないことを祈るだけ^^

これからも変わらず自分の世界観をどんどん深めていこうと深く誓いました。

他人の欲しがるものが分からないという事は、自分が欲しがるものは明確に分かるいうこと。

一作品一作品に作品への愛をぶっ込めていこう。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

腰痛の改善方法

おはようございます!

少し早く目覚めたのでブログを書いています。

今日は腰痛の改善についての事。

僕は最近なって腰痛がかなり良くなってきたので、その解決方法を書いておきます。

 

まずはチャットGPTに腰痛改善方法を5つ聞いてみた。

 

①適切な姿勢の保持: 良い姿勢を保つことは腰痛の改善に重要です。長時間同じ姿勢を続けないようにし、座る際には背もたれのある椅子を使用し、デスクワークをする場合にはデスクと椅子の高さを調整してください。

 

②軽いストレッチと運動: 腰の筋肉を柔軟に保つために、軽いストレッチや運動を取り入れましょう。特にヨガやピラティスの動きは腰回りの筋肉を強化し、痛みの軽減に寄与します。

 

  1. ③適度な運動: 日常的な運動は腰痛の予防と改善に役立ちます。ウォーキング、水泳、サイクリングなど、低負荷で長時間続けられる有酸素運動がおすすめです。
  2.  
  3. ④冷却と温熱療法の交互使用: 炎症がある場合は冷却療法を、筋肉の緊張がある場合は温熱療法を使用しましょう。アイスパックや温湯のシャワーを交互に利用することで、腰痛の緩和が期待できます。
  4.  
  5. ⑤適度な体重維持: 余分な体重が腰に負担をかけ、腰痛を悪化させることがあります。バランスの取れた食事と運動により、健康な体重を維持することが重要です。

以上。

 

確かにどれも大切なのだろうけれど、僕が改善を実感したのは主に一点だけです。

それは筋トレ

チャットGPTが挙げてくれた項目には入っていないけど。無難で賢いけど少しポイントがズレる。実際の経験には敵わない。

で、筋トレの何がいいかというと、腰周りの筋肉が鍛えられることで、広範囲にわたって腰周辺の負担を軽減して悪化を防いでくれて、痛みが軽減します。

 

僕がやっているメニューは以下。

 

プランク50秒を3セット。

最初は腕立てをしていたが、手首の負担が大きすぎるからプランクにした。腕の筋力は上がらないが、全身運動としては最適。

 

・スクワット100回を3セット。

膝に負荷をかけすぎないような深さで行う。

 

・腹筋100回を3セット。

両足を上げて、上体を少しだけ起こす感じ。50回分は左右に振る。

 

今ではこれくらいの負荷であれば汗もかかずに行えるようになりました。たまたまかもしれないけれど、腕立て伏せをプランクに変えてから一気腰痛によくなったのでおすすめ。

これくらいの15分で終わるメニューでも、数年続けたら体重は10%落とすことができ、腹筋も少し見えてきた(軽い食事制限は常時しているが)。

腰痛はとにかく繊細なので絶対に無理をせずに、長い時間をかけて少しづつ筋力を付けていくといいと思う。

無理すると逆に悪化することがあるから。

チャットGPTが筋トレを勧めなかったのは、悪化のリスクまでを考慮されているのかもしれない。

僕の場合、もともと手術を勧められるほどの腰痛ではなかったから、筋トレが効果的だったのかもしれない。整形外科に通い痛み止めやシップをもらっていた。今ではそれほど必要としなくなってとても嬉しい。今日はそれを伝えたかった。

無理しない程度の筋トレは、腰痛以外にも健康の維持にかなり効果があるのでぜひやってみてほしいなと思う。

 

今日の記事は以上です。

お読みくださりありがとうございました。

それではまた!

音の鳴る靴

おはようございます。

いきなりですが、僕は音が鳴る靴が好きです。硬めのソールの草履など。なぜかというと音により存在していることを伝えられるから。

音が鳴る靴が威力を発揮するよくある場面としては、前に人が歩いていてスピード的に自分が追い越さないといけない時。何も言わずに追い越すとめっちゃびっくりされるから、あらかじめ音によってここにいるよってことを伝えることができます。

なぜそんなどうでもよい事を気にするかと思われるかもしれませんが、僕は気配や存在感みたいなものが多分人よりかなり少なくて、何かしら存在を常にアピールし続けなければびっくりされて相手を不快にしてしまう事が経験上多かったからです。

音の鳴る靴で思いつくのは小さな子供が履くピーピーなるものがあるけど、あれで大人用があれば買いたいくらいです。50近いオッサンがピーピーと音を立てながら歩く姿を想像したら、笑いがこみ上げてきました。それでもあれば欲しいです(笑)

今はいているのは革靴の草履。

大学生時代に買った靴でもう30年くらい経っています。

まだ全然奇麗で重宝しています。(長年使わずにしまっていたこともあって)

いわゆるモード系と言われるブランドの革靴なのですが、友人に散々似合わないと馬鹿にされた思い出の靴でもあります。

普通は笑われたり馬鹿にされたりしたら、その物自体に自分自身良い印象を持てないのかもしれないけど、僕は何故か逆なのです。長年愛用しているのは、散々人から嘲笑された物を好んで使っています。

気に入っていると同時に、人からケチをつけられたものには相当の福が宿っていると僕は思っています。自分が気に入っているんだったら、何も気にする事なんかない。

他人にケチをつけるダサいやつの意見なんか気にせず、自分の気持ちに正直に使う物を選びたいですね。なんだったらもっとケチをつけてもらって沢山福を纏わせたいくらいです。

でも最近は会う友人もいなくなって、馬鹿にしてくるダサいやつに出会う事もない。

今となって思うのは、ダサくてケチな人も貴重です。

反面教師として、自分軸の生き方を更に洗練できたり、学べることが多い。

今後においても嫌な人と会ったときに、そのケチ具合によって幸福や学びが舞い込んでくるんだと考えるようにしようと思う。

それでもう恐いものなしで、どんどん幸せになっていきそうです。

今回も脱線しましたが、思いつきと勢いで書く帰結のズレた書き方が好きです。自分のブログ活用はアクセス稼いだり論理的に文章化するのじゃなく、自分の心の中を素直にアウトプットして少し整理するためなので、しばらくこんな感じでいきたい。

 

最後に、昨日撮った写真。

路面で大根おろせるか試したい。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

ひきこもり、作品を手売りに挑戦計画。

今週のお題「2024年にやりたいこと」

こんばんは!

元旦からの調子の悪さも一段落しました。

相変わらずのハイペースで作品が完成しています。どんどんと増えていく作品の置く場所が無くて、完成度の低い昔のものを潰したりしてスペースの確保に苦労しています。出来が悪いとはいえ、さすがに潰すのは避けたいところです。

その為、断捨離と並行して何とかして販路を増やしたいと考えています。

ハンドメイドの小物類を置かせていただいているcafe cozy様で年に数回手作り市というイベントが開催されています。今までは少しだけ置かせていただくだけで、僕自身が店で手売りすることは避けてきました。というのもお客様との対応に関して自信がないからです。でも、新年が明けて調子を崩して落ち込んだ末に、膿を出し切ったように辿り着いたのが、ちょっとでいいから表に出ていきたいという気持ち。というか売り込みたいという思い。

この春にも手作り市は多分行われるので、出店することを相談してみようと思っています。最近制作しているのは電源が要らないLEDキャンドルの作品で、店頭に並べやすく販売しやすい。でも多少構造が繊細なためどうしても人に任せることができず、頑張って勇気を出して一歩踏み出そうかなと考えています。

今や床屋や牛丼屋すら入れなくなっている状態で、出不精というか「社会的ひきこもり」の人間としては勇気のいる大きな一歩です。対応できるか分からない。作る作品は自信があるけれど、ホントにそれを金に換える段階での才能が無い。

でも売りたい。1個でいいから。

いや、何なら売れなくてもいい。自ら手売りする、作家としての最低ラインの活動ぐらいはできるようになりたい。

多分お客様対応はしどろもどろで、冷や汗かきまくる可能性もあるが、それが何だというのか。なんとか苦手意識を克服できたらありがたいのだけど。なんか元旦落ち込んで自分のダメな部分を存分に味わったら、少しだけ勇気が出た。今更カッコつけることもない。ただ今の僕にできる事を心を込めてやるだけ。

たしか開催は10時から15時くらいの5時間くらいだったと思うから、何とかなるんじゃないかなと軽く考えています。

どうなるかわかりませんが、また出店が決まったらこのブログで告知させていただきます。

頑張れ自分!

 

今日の散歩道での1枚📷

真冬というのに日差しが鋭い。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

 

 

 

 

 

 

 

2024年元旦。年始はいつも不調。

新年あけましておめでとうございます。

今年も全力で楽しく1年を送りたいと思っております。

皆さまの2024年が素晴らしい1年になりますように!

新年早々、めでたい日にもかかわらず調子が悪くて辛いです。元旦からこんな記事を書くことをためらいつつ書いています。でも、自分の調子悪いときの気持ちを書き残しておくのもブログの活用法の一つだと思うから、備忘録、考えの整理として記事にしています。

今日は1年ぶりに昼間からお屠蘇を飲みました。その酔いもあってか生きていく自信が時間を追うごとに無くなってきています。

僕は対人関係に問題を抱えていて、年始の挨拶やお寺のお参りなどに出ていく自信がありません。今は親がしているのですが将来的には自分が出ていかなくてはならないと思うと気が滅入っています。

とにかく人が怖いです。特に声の大きな人。

うちの親父もそうなんですが、本当に怖い。あんな大きな声で非難されたら死ぬんじゃないかとすら思うほど。僕は基本的に人から避けられるタイプなのですが、仕方なく関わってもらわなくてはならない人もいて、そういう人たちに対して自分の至らなさが申し訳なくてなりません。いつも心の中でごめんなさいばかり言っている。これは年始だけじゃなく一年中。毎日心の中で数十回は謝っています。特に悪いことはしてないのだけど、なぜか生きていること自体に申し訳なさがあって本当につらいです。作品制作に没頭しているときはそんなことは忘れて天国なのですが、それ以外の時でたまに深い穴に落ちてしまいます。

作品制作を始めると違う世界に行くことができます。ネガティブな事をポジティブに変換してしまうという特技なんだと思っている。

その特技により変換する前の不可解な罪悪感などの深淵部分が、作品としてアウトプットする過程でポジティブになると同時に、才能を研いでくれている気がしています。

僕の大好きなハワイに伝わる問題解決法「ホ・オポノポノ」では、

「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」

という4つの言葉が幸せを呼び込む魔法の言葉とされています。

この中になぜ「ごめんなさい」が入っているのか以前はよく分からなかった。そこを自分に当てはめて考えてみた。

丁寧に自分の気持ちを観察すると、謝ってしまう思いというのの意味は「自分」という存在の立ち位置が、他の存在に対して劣位にある(と思っている)為なのではないかと分かりました。

逆に「相手に腹が立つ」という事は、相手より自分が優位であるという思い込みから発生している。まぁ単に僕の感覚的なものですが。

だから僕の場合、相手より自分が劣位であると認識して、腹を立てずに内側を観察することが、なぜか才能を磨くことに繋がっているような気がする。

ただいい事ばかりではなく、年がら年中他人より劣位にいるという認識は、人によっては希死念慮が出てしまうのかもしれない。その辺の兼ね合いが僕が患っている不調の一部であるのかなという気がする。

これは心理学や精神医学とかを知らない僕の勝手な感想ですが、抜きんでて優れている部分は、圧倒的に足りない部分がある「凹凸」により発生しているのだろうなと思いました。

えっと、なんお話だったっけ?

元旦は調子悪いという話から少し脱線してしまいましたが、何でもいいから思ったことをブログに書くことで不思議と落ち着いてきました。

今年はブログに関しては全体の構成よりも、ただ思ったことを書き連ねるという方針で進めていこうかなと思いました。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!