こんにちは!
昨日から降り続いた雪はだいぶ落ち着いて、大雪に対する不安感も薄れてきました。
この冬唯一と言えるくらいの車が出せない積雪の日に限って、珍しく作品の発送手配が重なり、神様はちょっと意地悪なんじゃないかと思いながら、雪の降る中、歩いて郵便局に行きました。
歩道は長靴でギリギリ歩けるくらいの雪深さで、転ばないように慎重に作品を持って歩きました。
でも雪の中歩くのは楽しい。
インスタとかで雪が降っている街の景色とかを見るのがとても好きで、そんな映像をつい何度も見入ってしまうこの頃でした。
今日は映像ではなく、ふわふわと舞っている実際の世界を歩いていると、仮想空間か降雪アートの中に入って体験しているような不思議な感覚になりました。
雪だから寒いからって家に中にいるばかりじゃこの美しさは体験できない。
やっぱり神様は僕の好みをご存じで、敢えて郵便局まで歩くというミッションを与えてくれたようにも思えた今日でした。
さて、先日「音の鳴る靴」が欲しいという記事を上げました。
存在感や人の気配が少ない僕のような人間が周りに存在をアピールするための音の鳴る靴。でもそんな靴は見つからない。草履だったら音が鳴るけれど、長距離の散歩は草履では不可能なので、諦めていました。
でも、昨日急に思いつきました。「鈴」を持てばいいんやと。
なんで思いつかなかったのか不思議です。普通に考えたら「秒」で思いつきそうな事だけれど、「10年」かかった。
今日言いたかったのはこれです。
通常であれば瞬時に導けるような答えに10年かかるところが「自分」だなと。いや、馬鹿とかではなくてとても個性的だなと。
この不思議な感じは言葉では表せない。
僕が思うのは、重要なのは答えをすぐに導き出す速さじゃない。単純で当たり前なことに膨大な時間をかけて、とんでもない紆余曲折を経て、その過程で沢山の「オリジナル」なものを獲得していくところ。
出てきた答えは月並みでも、もう徹底的にいろんな方向に「独自の思索」を含んでいる気がする。
僕から見るとみんな次から次へと即座に答えを導いて、沢山のミッションをこなしすぎているように見える。義務や責任も大切だろうけれど、たまには無駄と思える寄り道や無意味なみちくさ、どうでもいい遊びに没頭する時間があったらいいのになと。
皆がそうしたら、もっとゆとりのある幸せな世界になりそうな気がする。
人と比べないで、もっとゆっくりと答えを見つけてもいいんじゃないだろうか。
無駄な寄り道は時に僕たちに思いもよらないアイデアを与えてくれます。
思わぬ遠回りをすることにより、自分が考え得る「最上の計画」以上の人生設計をプレゼントされる事もあるかなと。
というわけで、僕は10年かかってようやく解決しました。
存在感が薄いと10年思い悩み、いろいろ思索したことは、僕だけの宝物なのかもしれない。
これからはこれをカバンに付けて、縁起よく鈴を鳴らしながら歩くことにします。
今回もお読みいただきありがとうございました。
それではまた!