きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

2024年元旦。年始はいつも不調。

新年あけましておめでとうございます。

今年も全力で楽しく1年を送りたいと思っております。

皆さまの2024年が素晴らしい1年になりますように!

新年早々、めでたい日にもかかわらず調子が悪くて辛いです。元旦からこんな記事を書くことをためらいつつ書いています。でも、自分の調子悪いときの気持ちを書き残しておくのもブログの活用法の一つだと思うから、備忘録、考えの整理として記事にしています。

今日は1年ぶりに昼間からお屠蘇を飲みました。その酔いもあってか生きていく自信が時間を追うごとに無くなってきています。

僕は対人関係に問題を抱えていて、年始の挨拶やお寺のお参りなどに出ていく自信がありません。今は親がしているのですが将来的には自分が出ていかなくてはならないと思うと気が滅入っています。

とにかく人が怖いです。特に声の大きな人。

うちの親父もそうなんですが、本当に怖い。あんな大きな声で非難されたら死ぬんじゃないかとすら思うほど。僕は基本的に人から避けられるタイプなのですが、仕方なく関わってもらわなくてはならない人もいて、そういう人たちに対して自分の至らなさが申し訳なくてなりません。いつも心の中でごめんなさいばかり言っている。これは年始だけじゃなく一年中。毎日心の中で数十回は謝っています。特に悪いことはしてないのだけど、なぜか生きていること自体に申し訳なさがあって本当につらいです。作品制作に没頭しているときはそんなことは忘れて天国なのですが、それ以外の時でたまに深い穴に落ちてしまいます。

作品制作を始めると違う世界に行くことができます。ネガティブな事をポジティブに変換してしまうという特技なんだと思っている。

その特技により変換する前の不可解な罪悪感などの深淵部分が、作品としてアウトプットする過程でポジティブになると同時に、才能を研いでくれている気がしています。

僕の大好きなハワイに伝わる問題解決法「ホ・オポノポノ」では、

「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」

という4つの言葉が幸せを呼び込む魔法の言葉とされています。

この中になぜ「ごめんなさい」が入っているのか以前はよく分からなかった。そこを自分に当てはめて考えてみた。

丁寧に自分の気持ちを観察すると、謝ってしまう思いというのの意味は「自分」という存在の立ち位置が、他の存在に対して劣位にある(と思っている)為なのではないかと分かりました。

逆に「相手に腹が立つ」という事は、相手より自分が優位であるという思い込みから発生している。まぁ単に僕の感覚的なものですが。

だから僕の場合、相手より自分が劣位であると認識して、腹を立てずに内側を観察することが、なぜか才能を磨くことに繋がっているような気がする。

ただいい事ばかりではなく、年がら年中他人より劣位にいるという認識は、人によっては希死念慮が出てしまうのかもしれない。その辺の兼ね合いが僕が患っている不調の一部であるのかなという気がする。

これは心理学や精神医学とかを知らない僕の勝手な感想ですが、抜きんでて優れている部分は、圧倒的に足りない部分がある「凹凸」により発生しているのだろうなと思いました。

えっと、なんお話だったっけ?

元旦は調子悪いという話から少し脱線してしまいましたが、何でもいいから思ったことをブログに書くことで不思議と落ち着いてきました。

今年はブログに関しては全体の構成よりも、ただ思ったことを書き連ねるという方針で進めていこうかなと思いました。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!