きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

2024年への抱負

こんにちは!なかなか更新ができなくて1か月ぶりのブログ記事になります。皆様いかがお過ごしでしょうか?

僕は元気に生活できています。12月に入って制作のペースはあがっていて、作品のクオリティも洗練されてきており、満足のいくものが沢山制作できています。明日大晦日は早朝から最後の作品を制作します。朝5時頃から開始予定。

早朝は寒くてきついです。12月初めごろは、将来の経済面を考えて灯油は使わずに過ごそうと試みていましたが、とてもじゃないけど寒すぎて無理でした。来客用と作業部屋用だけはファンヒーターはいることが分かりました。それ以外はこたつと少しのオイルヒーターで快適に過ごせます。0度近い室温でも手袋と着る毛布である程度快適に過ごせる体になってきている気がします。必要最低限のエネルギーで生活することは仕事しないで生きるためには必須事項です。そんな過酷な中でも快適に生活できるようになりたい。自動的に必要以上の贅沢を遠ざけられるから、金もかからずに健康にもなる一石二鳥です。今年もウォーキング、筋トレは楽しめる範囲でできたと思うのでこれを来年も続けていきたい。

来年のメインの目標は、食事をゆっくり食べる事。僕は食べるのが早すぎます。喉に食物が詰まって何度か呼吸困難になったことがある。ほとんど飲み込んでるかもしれない。特に丼物がやばいです。今年は3回ほど死ぬかと思った。

作品制作に真剣に向き合うという事は、僕の人生全体の抱負なので、これを来年の抱負とするのはちょっと違う感じがします。永遠に大好きなライフワークなので。

でも食事をゆっくり食べるというのは、僕にとってはかなり難しい。ついついやってしまう。足を組まないという習慣も直そうと頑張っているけど苦戦している。あきらかに禁煙より苦戦している。1年かけて少しづつでもゆっくり食べれるようになりたい。

カッコいい人が目標にするような見栄えのある抱負ではないけれど、飾らないで正直な思いを見据えた方が自分のためになると思う。

というわけで、よく噛んでゆっくり食べる。味わってゆっくり食べる。食物に感謝しながらとにかく急がないでゆっくりと食べる。それが2024年の抱負です。

とてもダサくて、でも切実な来年の抱負。

喉に詰まって死ぬのはほんとにいやだから^^

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

良いお年をお迎えください!

 

将来の経済的&精神的不安の解消。

こんにちは!

ただいまAmazonブラックフライデーセールがやっていて、色々と買ってしまいそうです。買わないつもりだったのに…。自分の作品は今月はついに一個も売れなくて意気消沈しています。実家で親と同居しているから何とか生活できている身分で、将来的に結構やばい気はしています。今のうちに積立NISAやiDeCoで資産形成しておきたいと思いやっています。でも投資に回せるのは親がいるうちだけです。

そんなこともあって買い物は控えめにしていて、服も数年間同じで、散髪は常に丸刈りで、暖房も最低限しか使っていません。

それなのにAmazonで年末セールなんかやるもんだから困っています。いや、ありがたいんだけど、困っています。プロテインとかどのみち買わないといけないものなど、この機会に買っておこうとか思ってしまい、計算したら1万円以上使うことになりそう。

不思議なもので、今月は予算内に収まって貯蓄に回せるなと思った翌月に、でかい買い物をしてしまって結局先月残った分を使いつくしてしまい、年間でトータルすると貯蓄目減りしている毎年。

親がいる今に段階でこんなだと将来が不安です。もし経済的に立ち行かなくなったら、生きてはいけない可能性がある。生活保護はバッシングされる気がするからもらわないつもり。なので、限界まで切り詰めてそれでも無理な場合はある程度覚悟はしているけれど、人間そう簡単にはあっちに行けない。一回失敗しているから分かる部分がある。

僕にとってどうしても必要なものはペンと紙などの画材。最低それだけは十分に買えるぐらいの余裕は持っておきたいから、食べるものや着るものは切り詰めるつもり。

あぁでも体の健康は一番大事だから、食べるものに関しては贅沢部分をすべて切り落とそう。

今日のブログのタイトルは「将来の経済的&精神的不安の解消」なのに、書きながら全く逆の方向へ進んでいっている。不安と心配だらけの文章になってしまった。というわけでそれを解消できるようにこれから考えてみる。

 

  • 経済的な不安の解消に関して

正直この不安はなかなか厄介。普通に職に就いている人たちでも同様に不安をお持ちなので、僕が経済的不安を感じることはある意味当然。だから、今将来のためにできることをやっておくしかない。最終的にもう無理だって時に後悔しないくらいには。投資、作品作り、作品販売。

食と健康に関しては、うちには畑があるからなんか育てて食べたらいい。野菜の苗や種くらいは買えるようにしたい。

灯油など買わない。寒いときは毛布にくるまり結露のない窓から雪を眺める。

冷房などいらない。暑いときは琵琶湖で浮かぶ。(ちょっと無理がある^^)

節約に関しては今のうちから練習しておく。そもそも親のような贅沢な生活は望むべくもないから、今のうちに少ない量で足りる事を体に覚えさせる。

で、ダメなときは空を見上げて勇気をもらう(笑)

縛られるものなくて自由だ~!

なんか楽しくなってきた。

 

  • 精神的不安の解消に関して

とにかく抗精神病薬ジプレキサが体に合っているから調子を崩さないようにしっかり飲んでよく眠る事。断薬など論外。

あんなことがあって今現在生きていられるのが奇跡的。その点を噛みしめる事。

人と比べないで自分の軸をしっかり持って作品つくりに没頭する事。

あとは親との離別など、人間だれしも経験するのだから自分にも乗り越えられるはず。

その他、辛いことは、時間の経過により癒えていくから過剰な心配は不要。

よく考えたら、幸運だらけでありがたい事しかない。

なんか嬉しくなってきた。

 

そんなところです。

考えながら、楽しくなって嬉しくなってきたから、アマゾンのセールで買う物を更に追加したくなってきた💦

やばい。

というわけで、節約には少し不安なくらいがちょうどいいようです(笑)

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

変人は悲しいけど、場合によっては生きやすい。

こんばんは!

今日は変人の悲しさについて思ったこと。

僕はまあまあの変人です(笑)。というか、普通であろうと努力した結果、失敗した成れの果てです。僕の知り合いの変人も(ごめん^^尊敬を込めてです)普通であろうと努力したと言っていたので、そういうパターンは結構多いのかも。子供の頃は自分を変人とは通常は分からないから、なんかおかしいという事が多くて、なんとなく周りと違うなぁという解釈があって、なんとか普通でいよう、周りに合わせようという努力、それと同時に、素の自分の自己否定も沢山してきた気がする。

歳を重ねるにつれて(といっても長年引きこもっているだけですが💦)だんだんと自分が普通の感覚ではないこと、それがそれほど悪いことではないことが分かってきます。

タイトルに「変人は悲しい」と書いたけど、それについてこんなエピソードがあります。(まだ卒煙前の数年前のエピソードです)

普段行かないコンビニでタバコを買おうと思って、店員さんに「すみませんタバコ2個下さい」と言いました。それだけで店員が怒り出して(怒ったというかめちゃくちゃ怪しまれて)身分証を見せてくださいと言われました。感じ的にタスポ見せろという意味ではないのが分かったので財布から免許証を出して渡しました。その店員は僕の免許証をまじまじと見て、どうにも釈然としなさそうな顔をしながら返して、しぶしぶタバコを売ってくれました。多分言いようのない違和感があったのだと思う。こいつは絶対「怪しい」という。でもそれは身分証を見ても分からないはずで、その店員が知りたいのは「身分」じゃなくて僕の「変さ」だから当然です。

その時思ったのが、やっぱり悲しいなと。

怒りとかよりとにかく悲しい。

僕の前の人がタバコを普通に買っていったのと同じように、当然僕にも普通に売ってくれると思っていたんで。

それに類似するようなことが何度もあって、その結果分かったことがあります。そんな悲しい事件がある度にそれをやってくる人に一つの傾向があることに気が付きました。

それはその人たちは常に過剰にジャッジしているという事。

おそらく目の前の人をジャッジすることはごく普通の事だと思うのだけど、それを常に過剰にやってしまう人の傾向として、「過剰な凡人」な感じと言ったらいいのか、「普通の感覚を持っていること」が優位であると認識しているタイプなような気がする。

これは僕の独断と偏見によるものだから、なんとなくですが。

端的に言って、「凡人」は「変人」が大嫌いという事。

そこで思い返してみると、凡人に嫌われて損だったことがあるかなと思うとあまり思い当たらない。ただ悲しいだけで。ジャッジしまくってくる人はむこうから避けてくれるので、ある意味ありがたくもあり、変人としては生きやすい面がある。

その上、僕のような変人に関わってくれる人は、過剰なジャッジがない素直な感じの人が多いからたいてい信頼できるというメリットもある。

変人の中でも、他人との関係性の中で自分の価値を見出そうと考える人は、場合によっては結構つらい人生になるかもしれない。サンドバックみたいになる。(メンタルが強い人は別)

繊細でかつ変人でありながら快適に生きていくためには、人生をかけて成そうとすること(一人でできる事)を一つ持っているかどうかというのが大きいと思う。

人との関りよりも、全人生をかけて何か打ちこめる事に重心を置く気持ちがあるかどうか。それがあれば、ひきこもりであろうが最低限の自己肯定は獲得できると思う。

確かに他人と関わらざるを得ない場合はあって、それが負担な面があり僕自身情けなくもあるけど、それはそれ。問題はない。

その辛さをエネルギーに変えて何かに注ぎ込み、変人を極めていく。

僕も何度か偉大な変人に助けられた経験があります。変人は変人と相性がいいから、思わぬ方向から助けていただくことがあります。

僕は他人を助けられるほど偉大ではないけど、何かしらサポートできることがあれば、尽力したいという気持ちもあります。

嫌な人となるべく関わらないで、自分のやるべきことを全力でやって、何かしら社会に還元していく。そういう人生が理想です。

というわけで、変人は悲しいけれど、場合によっては生きやすい。そんなお話でした。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

空を見上げる習慣

こんにちは!

今日は昼過ぎから曇ってきました。

散歩に出かけたのですが、少し雨に当りました。帽子に雨粒が当たるブチプチという音が気持ちよく感じてとても楽しいひとときでした。

折り返し地点までは青空が少し見えていて、雲の隙間から日差しも見えました。そんな空模様をいつものように楽しみながら一時間ほど歩きました。

僕は散歩に行くたびに毎回10回くらいは空を見上げています。それを週に5回ほど、もう10年以上は続けていると思う。

先ほどYOUTUBEを見ていて、空を見上げることについてのペンキ画家ショーゲンさんの動画をたまたま見ました。それで思いついてブログに書いておこうと思った次第です。

その動画がこちら☟☟☟


www.youtube.com

ショーゲンさんが言われているように、空を見上げることで心に余裕が生まれるのは僕も感じていました。ただ空を見上げようと思うくらいには多少の余裕はいるかもしれないけれど。でも少しの時間と少しの余裕があればぜひやってみるのをおすすめしたいです。

空を見上げて爽やかな気持ちになると、確かに心の余裕と感謝の気持ちは生まれてきます。僕の場合は特に自然に対する感謝の思い。それとともに特にありがたいなと思うのが、次の作品のアイデアを受け取れる事です。

作品を制作することにおいて制作者がアイデアを思いついて制作しているように見えるかもしれないけれど、実はそのアイデアは自然からいただいていることが多い気がするんです。まぁ、他の人はどうとか全然知らないから断定はできないけど。僕の場合はそんな気がしている。次何作ろうかなと思ったときは、ペンを持つんじゃなくて、迷わず散歩に出かけます。帰ってきたころにはもう頭の中にある程度出来上がっている事が多い。こんなに楽しいことないです。散歩が面倒なのは最初だけで、空を見上げたり音楽をチョイスしたり、コツさあえ掴めばとてつもなく楽しいひと時になるはずです。

今日このショーゲンさんの動画を見て自分に足りなかったものが少し見えた気がします。自然に感謝するだけでなく、関わってくれた「人」に感謝の気持ちを伝えること。今すぐ自分にできそうなことで思いつくのは買い物したネットショップでできるだけレビューしようとかですが^^。

何気ない毎日の中で、自分にもできることを探していきたい。

感謝を伝えて嫌な気がする人はいないと思うから勇気を持ちたい。

ただ対人恐怖的な面があるから、まずはネットを介して関わってくれた方たちに機会ががあれば感謝を気持ちを伝えられたらいいなと思いました。

今日思ったことはそんな感じです。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

許す・認める・受け入れる

こんにちは!

めっきり秋らしくなり、暖房がないと起きれない季節になってきました。

秋が深まりつつある11月半ば、皆さまいかがお過ごしですか?

僕は相変わらず作品制作に没頭しています。おかげさまでそれなりに楽しく日々を送れています。ありがたいです。

今日も朝から散歩に出かけて写真を撮ってきました。爽やかな秋晴れでした。

さて、今日はこれからの生活においての指針、思ったこと。

僕は年老いた両親と生活しているのですが、父も母も記憶力などが衰えてきていて色々と心配することが多くなってきました。特に父の方はたまに遊びに来る孫たちとも会話が成立せず寂しそうに見えます。子供たちの会話のスピードについていけなかったり、そもそも言葉の意味を理解するのに時間がかかりすぎて、話の中に入れなくなって久しいです。

可哀そうだなとは思うけれど、理解力がそんな状態なのもあり、日々やることも無駄や無意味や嘘などが多すぎて、一言申したくなってしまう毎日です。

毎日10個では足りないくらいの思いがあって、でも何かしら指摘したら逆切れされるのが見えているから、9割方は気持ちに蓋をして抑えています。

たまに僕も辛くなり調子を崩すこともあり、なるべく部屋に籠って見ないようにいしています。

ただ、怖いけれど、これについては言わないといけないと思った最低限だけはビビりながらも言うようにしています。その結果、タバコを川に捨てたり、トイレに流したりはしないでくれるようになりましたが、指摘しようかしまいか判断が難しい事柄が無数にあり、僕自身を試されているようにも思えます。なかなか難しいです。

そんな中インスタを見ていてフォローしている方がおっしゃっていた言葉が印象に残りました。

 

人間関係においての問題を解決するのは非常に難しい。

でも問題を解消することは簡単。

人間関係の問題を解消するために大切なことは3つある。

それは、「許す、認める、受け入れる」事。

 

要約するとそのようなことを言われていました。

どうしようもないから見えないふりをして諦めようか、それともたまにブチ切れてストレスを逃がすしかないか、そんなふうにあまり建設的ではない解決法を巡らせていた中だったので、いいタイミングで指針になり刺さりました。

変えるのは他人ではなくて自分だったという事。

辛いけど他人の言動は変えられない。それがどれほど無意味で愚かしい事だったとしても。

でも自分自身は変えていける。

相手を許して、認めて、受け入れる。

そう簡単ではないけれど、険悪な関係には絶対にしたくない思いがあって、そうするためには相手を受け入れるほかないにかもしれないと思った。(なんか前にもブログで書いたことがあるような気がする。それだけ難しいという事か…)

実は、気持ちの中では無理ゲー感は満載で、場合によっては許すよりも先に逃げる必要がある場合もあると思う。聖人でもないのでそう簡単にできる事じゃない。

でも目指すべき大まかな方向としては、「相手を変える」ではなく「自分を変える」であることは腹落ちしました。

これからは物価が上がったりする問題や、僕自身の将来の生活の問題や、親が本格的に認知症になってしまったり、それに連動して僕の精神疾患の悪化の可能性も控えている。

それぞれがそう容易ではないが、全力で自分の人生に向き合っていこう。

あと、急にはそれができない自分も許そう。

そして、日々の生活中でゆっくり受け入れていこう。

そもそも問題が起こらない人生には学びも少ないはずだから。

そんなことを今日は思いました。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

自家製ローストビーフを作ってみた

こんばんは!

今日の夕食はローストビーフを作りました。

結論から言って、めちゃくちゃ美味しかった。

そういえばローストビーフって今までそんな食べた事なかった。たまに売っているのを見かけるけど値段が高すぎて手が出せなかったのです。だから毎年の盆に出前をするオードブルに数枚入っているくらいで、なぜか味もそれほど印象がなかった。

今日は絵画の方の作品もうまく仕上がって気分が良く、少し手の込んだものを作ろうと思って朝から計画しました。今までにもローストビーフ手作りしようかなと思った事はあったけど、生焼けかどうかの見分け方が分からなそうに思えてずっと諦めていました。今日はネットで情報を仕入れて予習した上で丁寧に作りました。レシピは毎度お世話になるクックパッドです。

結果、思ったよりも簡単でした。焼け具合もしっかりとピンク色になって、生ではない感じが見て取れました。多分タレがポイントですね。焼いた後や余熱で放置して火を通す過程で出てくる汁をタレに使うのがいいみたい。この汁がめちゃくちゃうまいから。

あともう一つのポイントは切る薄さ。今回は精一杯薄くしても4mmか5mmぐらいにしかできなかった。親父に「ワシやったらこれの半分にできる」と確信をもって散々豪語するのでちょっとイラっとした(笑)半分は無理だろうけど3mmにできたら、枚数も稼げてもっと満足感が上がるかもしれない。今日みたいに厚み4~5mm位だと少し硬くて顎が疲れた。是非次回は半分で切ってもらおうと思います。(絶対無理ですが^^)

それにしても、手製のローストビーフってこんなに美味しいものだったのだなと大発見です。牛肉ブロックが480gほどで1300円位だったからたくさん食べられるわりには安上がりで最高です。またなんかのお祝いのときとかに作ろうと思います。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!

清らかに生きるコツ

こんばんは!お久しぶりです。

かなり期間を空けてのブログ更新のペースになってきました。僕の場合、ブログの書き方というのは日常のことを書くよりも、なんか思いついたときに書く方がいい気がしています。というわけで、今日は思うことがあって記事に残しておきます。

皆さんは嫌な事を言われたりされたりって事が多いですか?僕はわりと多いです。腹が立ってイライラする日があれば、気分よく過ごせる日というのもあります。

そんな生活の中、多少の嫌な気分をリセットして、清らかに生きるためにいろいろ工夫しています。今日インスタでフォローしている人が投稿されていた

「自らの善行は忘れましょう。

されて嫌だったことは水に流しましょう。

そして清らかでありましょう。」

という文章を見てピンときました。そうだ、いい事も嫌な事も水に流してしまうという考え方はいいなと。言葉では簡単そうだけど実際は難しく思える、けれど、覚悟さえあれば割とうまくいきます。

以前からこの類のことは少し意識していて、特に多く利用しているのがお風呂の時間。体をきれいに洗って水に流す時間ですが、嫌な気持ちも水に流してリセットすることが容易な時間でもあると思います。

「慈悲の瞑想」というのがあります。前にも少し紹介した本「ブッダが教えた本当のやさしさ」というアルボムッレ・スマナサーラさんの本の中に出てきます。簡単に言うと、自分や親しい人、生きとし生けるもの、自分が嫌いな人、自分を嫌っている人、の幸せを祈る瞑想です。

湯船に浸かったら、今日言われた嫌なことを一旦忘れる覚悟をして、その文章を唱えて瞑想します。湯船に浸かる時間は日常生活の中で一番気持ちの良い時間だと思うので、一番スムーズに無意識を「洗脳」できます。洗脳という言葉は適切でないかもしれないけど、体と一緒に「脳も洗って」しまうという意味であえて使っています。

僕はもう数年間毎日欠かさずにしている習慣です。確実に生きやすくなると思います。

あと、考え方として取り入れると有効なものがもう一つあります。これは又吉直樹さんが言われていたのですが、嫌なことがあったら、そのあとにはいいことがあるので、そのうまみの部分も取りこぼさないように。というようなことを言われていました。

一つの考え方であると思うけど、実際にそれはあると僕は感じます。連日嫌な事が多く起こったら、しばらく覚えておいてそのあとに起こることも観察してみてほしい。いいことが起こっていることに気付くと思います。

僕は毎日散歩しているのだけど、嫌なことがあった日は生き物たちが親しげに関わってくれている気がする。かわいいな、美しいなと思っていると蝶やトンビがこちらを認識して誘導してくれたり、より美しく舞ってくれる気がする。いい事ってそれだけかよって言われるかもしれないけど、本来、意思疎通できないはずの自然の振る舞いと心が通うというのは想像以上に気持ちを元気にしてくれる。あなたはそれでいいんだという確信に近いメッセージを自然から受け取ります。

人によっていいことは違うと思うけど、意識して観察してみると本当に嫌な事の後にはいいことが起こっていると思います。これがうまみの部分。取りこぼしてはもったいないです。

 

というわけで、今日書きたかったことはこの二点です。

 

・毎日風呂場で、嫌なことを水に流す。

・嫌な事の後にはいいことが起こる。

 

活用していただけると嬉しいです。

今回もお読みいただきありがとうございました。

それではまた!