きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

欠落を嘆く必要なんかない

こんにちは!

ここのところたまに不安感とか軽い希死念慮がやってきます。

原因は何かと考えると、多分将来に対する不安。

経済面もあるけど、もっと大きいのが人間関係における心配です。

どうしても社会や人の中にうまく溶け込めない事。

何度も見る夢があります。

学校みたいなところの文化祭か何かで、演劇に出なくてはならない夢。

本当に嫌で嫌で、学校に行くのをやめてしまって、でもなぜか本番当日になって(なぜか自らの意思で)参加することになって、逃げる事も出来ないし、出演することもできなくて、もう死ぬしかないかというところでいつも目が覚める。

対人関係というものも基本的に演技だと思うのですが、僕はどう考えても自分というものが分からなくて、どういうキャラでいくとか考えるだけで匙を投げてしまいたくなる。

だからって「キャラ」じゃなくて本当の自分を出すといいのかもしれないけど、その本当の自分というのが無い気がする。

長年ひきこもりみたいな状態でいたことによるものか、世間から隔絶されてしまった気がする。そんな思いが何度も同じ夢を見せるのだと思う。

僕に足りないのは「社会性」の無さなのだろうか。

もっと別のもの、「気力」や「経験」なのだろうか。

はっきり分からないがとにかく無い。

無いものが分からなくて、獲得方法も見当がつかない。

今日散歩しながら、不安で一杯で生きていく自信が無くなってきた時に、目の前にトンボが飛んできました。

そのトンボの飛び方がとてもぎこちなくて、なんだろうと思い観察してみると、4枚の羽根の一枚が半分しかない。

そんな状態でもフワフワ蛇行しながら僕を導くように10メートルくらい先導してくれました。

すぐにメッセージだと気が付きました。

そうだ、欠落を嘆く必要なんかない。

今持っているもので精一杯向き合えばいいだけなんだ。

あのトンボはそう思って飛んでいたわけではないと思う。

自然界ではすべての生き物がそうして生きている。

僕らはつい「無い」ことばかりを気にして、「ある」ものに対するありがたさを見逃しているのかもしれない。

逆に僕が若い時に今無い何かを獲得できていたら、今やっている表現などは絶対にできてなかったはずだから。

それはありがたさで言ったら補ってあまりあるもの。

自分の中の欠落した部分を補うように、自分の中の別の部分が大きく発達するのだと思う。

気を落とさないで、いつも前を向いて進んでいこう。

持てるものをすべて使って、全力で独特な自分の人生と向き合っていこう。

未来の自分にとっては、今の不安感も希死念慮も貴重な経験になっていると思う。

そんな未来を目指して、毎日、今できる事をしていく。

そんな決意みたいなものを羽の欠けたトンボは僕に与えてくれました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

それではまた!