きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

見下す人、小さな夢。

こんにちは!

いきなりですが皆さんは人から見下されることはありますか?僕はとても多いです。過去を振り返っても結構思い出します。当然だけど人から下に見られることは意味が分からんしとても嫌です。悔しくてなんでそんなことされなあかんのかと考え込む事もしばしば。からかわれたり嘲笑されたり、そういう経験が多かったために段々わかってきたことがあります。まず人を見下してくる人って全体的にどうしようもなく哀れな人が多いです。なんでそんなに偉そうにするのかを観察していると、自分で気付いているかどうかは分からないけど、内側に自信のなさを抱えているようです。そのくせにこいつには何を言っても不利なことにならないという直感は無駄に敏感で、自分よりある意味弱い存在を見つけて、今まで他人にされてきたことや日々の鬱憤を吐き出すためにやっているように思えます。言い返せないこちらの優しさみたいなところに付け入って弱いものがさらに弱いものをたたく構造。本人は全く気付いてなさそうだけど。そう考えると僕みたいな弱いというか繊細ですべてにビビっていつも怯えている人間は、一番下で人の生み出した凝縮したネガティブな感情の受け皿になる構図がどこに行っても必然的に出来上がっていて、嫌な役回りを与えられる気がする。だからサンドバックになる直感から社会が怖くて、ふつうの対人関係などにも悪影響が及んでいるのかもしれない。

その解決策としてよく言われるのが、見下してくるようなやつを「見返してやるぞ」という意気込みで強くなっていく方法。でもそんなに急にメンタルを強くすることはできないから今すぐに僕が出来ることは無いかと考えました。いつも通りの帰結ですが、この見下される体験を自分の学びにするという事。あとになってあの嫌な経験があったからこんなにも努力できたんだと思えるようになりたいなと。言い返せない悔しい気持ちを糧にして、昨日より今日、今日より明日と誰よりも楽しんで努力して、悔しさをバネに日々のすべての事に丁寧に向き合っていきたい。そうして続けていったら一日の差は微々たるものでも10年20年のスパンでは計り知れない差が出来ると思うから。

人に快く思われ、多くの友人といつも笑顔で楽しい人生も素敵でうらやましくもある。だけど、見下されビビりながらひとり孤独にもがく人生も素敵でかけがえのない人生だと思う。

そして、人を見下してしまう人を見返すのではなくて「こんなつまらない事はやめよう」と思わせられたら最高だなと。以前に夢なんかはないと書いたけど、こんなちっこい事も含めていいなら、「見下してくるたった一人の価値観を変える」事がある意味自分の「夢」の一つでもあるかもしれない。

今回も見ていただいてありがとうございました。

それではまた!