きたていっくのいつでも休憩中。その3

オリジナル幾何学アート&自家栽培ひょうたんランプの紹介、日々の日記を兼ねて。

作られた架空の記憶と感覚

こんにちは!

寒いですね。皆様のお住みの場所は雪はいかがですか?
高島市は気象予報通りの大雪で夜中にかなり積もって今もまだ降り続けています。今日が日曜日で良かった。平日なら通勤通学とか大変だったろうと思う。自分は朝4時からランプの台座を作っていました。早朝から父親が雪かきしていたので、先ほど台座作りの作業を終え、自分も追加で雪かきを少ししてからブログを書いています。かいてもかいてもすぐ積もってしまうけど、降り方が少し弱まった感じがしています。少しの晴れ間を逃さずにカメラに収めました。これくらいはまだ序の口です。でももうこれくらいでいいです(;^ω^)

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さて、今日はタイトルにもあるように記憶、感覚は作られるという話。

いつも夕飯前に風呂を沸かすのは自分の仕事なのですが、自分はかなり神経質?で急に思いついたように、今風呂沸かしてるんじゃなかったっけ、という気がしてきて風呂場に何回も見に行きます。自分の部屋にこもって5時間ぶっ通しで絵を描いていて部屋から一歩も出ていないにもかかわらず、夕方5時半くらいになるとその思いが出てきてしまいます。ずっと部屋にいたでしょ、と自分に言い聞かせるのですが、風呂を沸かしに行った記憶を今日はたまたま忘れているだけで、実は知らないうちに沸かしていて湯を止め忘れているんじゃないかと。

頑張って自分を説得してみるのですが、最終的にはありもしない記憶が作られてしまします。

問題は感覚。

蛇口から出る湯加減を調整する時に感じる手に当たる温かい感覚をありありと思い出してしまいます。多分昨日の記憶。でもそれが24時間前か数分前かその違いが僕には何故だか分かりません。ただ温かい湯の感覚だけを思い出して、いてもたってもいられず、もう自分を説得することが不可能になってします。

今まで数百回風呂場に確認に行ったけど、本当に止め忘れていたことは1~2回しかないです。そんなことを総合して何とか自分を説得して最近は少しだけ気にしないようにはなってきたけど。

このことだけじゃなく他にもそんなのがあって、その理由というのが、多分根底にある”漠然とした不安”。それがあることでこのようなありもしない記憶と感覚を生み出してしまうのだと思います。ある意味”創造性”だと思う。どうしようもない意味わからん不安は創造性の源泉でもあるのかもしれません。

なので、自分を含めて不安神経症的なタイプの人は、自分だけのアウトプットをする習慣を持ったら、かなり個性的な産物が生まれる場合があると思うので、そういった面でプラスになる場合もあるから、是非不安をポジティブに考えてみてほしいです。

大丈夫。不安があっても全てうまくいく。

むしろ不安があるからこそ、無い場合に比べて最終的には120%の学びと結果を得られる。

結局まだ起こっていない未来に対する不安のほとんどの事は、実際には起こらないのでなるべく気楽に、安心して生きていきましょう。

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今回もお読みいただいてありがとうございました。

それではまた!